空 の 音、風 の 色

カツシカノーヴァ 老後の雑録

お盆の準備を始めました

 
8月になりました。8月はなんと言ってもお盆の月です。もう遅いのかも知れませんが、お盆の準備に入りました。
まずは、墓参りに使う提灯を出してきて虫干しです。今はもっと小さく軽いものがスーパーでも売られていますが、これは亡父のオーダーメード。父親も気合を入れて作ったのだろうと思います。当初(かれこれ50年くらい前か)は本物のろうそくを使用。じきに乾電池式ろうそくに進化して現在に至っています。
この提灯を見ると、やはり当時のことが思い浮かびます。
 
 
子供の頃の8月はお盆の重圧がのしかかってくる憂鬱な月でした。何しろ1週間近くもあり準備を含めれば2週間はお盆の影響下にあるのです。大人は忙しそうにするし、見たこともない人が大勢やってくるしで子供には居場所がありません。
墓には歩いて、やがては自転車で行っていたのですが、大人に混ざって、迎えと送りで2回も行かねばなりません。
何がどうなっているのか分かりませんでしたが、両親や親戚たちは役割分担を心得ているらしく、花を生ける人、線香に火をつける人で忙しそうにしています。拝む順番も決まっているようですが子供には分かりませんでした。まあ、退屈でした。
 
さらに困ったのが、墓参りの後の宴会です。最初は和やかで子供の相手などもしてくれるのですが、佳境に入ると決まって喧嘩が始まるのです。この頃になると子供は隣室で大人しくしているのですが、突然、襖を破って人が転がり込んで来たりします。組んず解れつの喧嘩になってそれが父親だったりしました。
母が止めに入ったもののいつのまにか夫婦喧嘩に発展。皿が飛び交って畳の上は料理が散乱、酒もこぼれて足の踏み場もありません。いやあ、怖かったのなんのって。
 
まあ、今はそんなことは無くなりました。両親も既に亡く、親戚も櫛の葉が欠けるように少なくなりました。もう大掛かりな墓参や宴会はありません。したくてもできないのです。
 
 
思えば、当時のお盆は村社会がモデルで、それを引きずっていた世代の両親はそれに従ったまでだったのだろうと思います。私が子供の頃見たお盆の風景はムラ社会の残影でした。女性が万事整えなければならなかったし、手伝うそれなりの人数がいました。お寺も墓も近かったからご先祖様のお迎えも送りも簡単にできました。
でも、今は無理。事情が違い過ぎます。従って、墓仕舞いという次第になるのでしょう。
あの当時はまったく考えられないことでした。
 
Nikon Z50II / NIKKOR Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VR